「好きになった方が負け」というツイートを目にしたので、たりるんが思ってる恋愛論を考えてみました。誰かを好きになること「愛」において、「負け」ってなんだろ?と思って。
好きだから幸せ
まず、大前提。ほとんどのことにおいて「好きだから幸せ」でしょう。好きなお洋服だから着た時に幸せだし、好きなものだから食べた時に幸せだぁ~って思うでしょう。「この人のことを好きだなぁ」って思うから幸せですよね。うんうん。
テクニックはいらないと思うの
それなのに「好きになった方が負け」って考えてしまうのは、矛盾しているみたいだけど、恋愛が対人関係だから仕方ない部分でもあって。
すごく好きになると、悶々と相手の気持ちを考えて不安が押し寄せてくる。そこを回避するために、相手よりも好きの気持ちを押さえたくなる。相手は好かれていて幸せ~で安心しているのか、ちょっとわがままだったり、大切にしてくれない気がしたりする。
誰だって怖さや不安で辛いのは苦手だもの。押し潰されそうになるし、胃が痛くなるし。そこで「好きになった方が負け~」という恋愛テクニックを誰かが説く。「ふんふん、あー、自分に主導権が来れば、傷つかないのか、いいね」って同意する。
でもね、そんな「自分が辛くなければいい(相手は辛くてもいい)」というテクニック的恋愛論は、平成の時代でおしまいでいいかな~と思って、笑。
いっぱい好きになっていいんだよ
時代はすでに「令和」で、「愛」の時代で、テクニック不要論発動中なんじゃないかなって思う。「負け」とかね、そんなちっちゃな器で、大切な人を弱い人を社会を地球を守れますか?って思う。最近のニュース、悲惨な事件が多すぎるもの。
恋愛に話を戻すと、「自分の愛情が相手よりも多いと負け?想いを出し渋って好かれたら勝ち?」ってなんだか違う。みんな優しい人が好きでしょう。愛情が少ない人って魅力的じゃないと思うでしょう。そうそう、たぶんね、いっぱい好きになっていいんです。
「嫌われるの怖いから、相手に好かれたいから、主導権持っておきたいから、好きな気持ちにブレーキかけとこっ」というのは、結局「好き」なことには変わりがない。だったら、裏技使わずに堂々と「好き」で行こー。素直になろー。勇気を学習するチャンス到来って思おう。
怖いし不安だけど、そこ、がんばろっ。だからこそ愛に価値があるのです。簡単じゃないから価値があるのです。
愛は持ってないと使えない。使わないとふくよかになれない。
お互いが、「好きになった方が負け」などというちっぽけなテクニック論とは縁遠く、「好き」と「好き」で大らかにでっかく大切にしあえる関係はいいなぁって思います。
「好き」なんだもの。相手に負けないくらいに一生懸命に好きでいいし、それしか出来ない。「愛」はぼとぼとこぼしてまわるものでいいと思う。
男子は女子の母性で癒されるし、女子は男子の包容力で癒されるし、お互いに愛情の量はぜったい必要だよ。癒やし合おう。
そして、この感情は恋愛だけじゃなくて、すべての命と命でそうだと思います。自分ではなく他が優先。自分が傷つくと思っても、周りに愛をこぼせる強い人になるために、恋愛という練習問題があるんじゃないかと思います。お互いがお互いを思いやる感じ。たぶんここを書きたくて、今日はこんな記事になっているのだと思います。言いなりっていう意味じゃないです。
※parisの道端で。
誰かをちゃんと「好き」になれて、「好き」を惜しみなく出して、相手を困らせるような「束縛の好き」は我慢をして、その結果失恋しちゃって、わんわん泣いても大丈夫。ご褒美として、自分の人生をふくよかに生きられるようになっていくのだと思います。
恋愛の日々を経たり傷ついたりして、みーんなそこから学習したり耐性をつけながら「愛の量が多い大人」になっていくのだと思います。
それに「好き」に向かい合う堂々とした勇気には、強さも必要だから、強くもなれてる。傷つくことを恐れたヒーローはいないもの。
この世の法則、自分がしたことは自分に帰ってくる。愛情たっぷりな人は、今回じゃないかもしれないけれど、ちゃんと愛情たっぷりの人と仲良くなれます。それはものすごく幸せなことの気がする。
誰かの命も自分の命も大切に想えるということ
誰かの優しさや愛情や、押しつけのない太陽のようなポカポカは、誰かの命をキラキラさせているはずです。「好きになってくれてありがとう。好きでいさせてくれてありがとう。」っていう素敵な関係がきっと在るから。
「好きになった方が負け」じゃないよ。自分からたくさんの「好き」を出そう。私もそうでありたい。そう信じたい。母性を発動したい。
大切な誰かが、今日一日を幸せに過ごせますように☆彡
そんな「好き」が恋愛でも家族でも社会でも仲良しでも必要なのじゃないかなぁって思います。お互いの命をお互いに大切に想う感じ。
ね、「負け」ってなんだ? そんな弱々しい鎧なんていらな~い。それに負けてもいいじゃないって思います。自分の好きな人が幸せなんだもの。そう思えたら怖くない(もちろんちょっとは怖い)。前より強くなれてる。
順番は「好き」が一番、「好かれたい」は後ろの方に後回し。
それでも悩むことあるけど、そんな時は一呼吸おいて、時間が必ず解決してくれるのに任せるしかないんだけど。これも法則だものね。
『今日が最後の一日』って思って生きるとしたらさ、愛を出し惜しみしてる場合ですか?ってんだい(*^▽^*)♡笑
たりるん@最後寅さんみたいになってしまいました
↓↓こんな風に「好き」と「好き」の気持ちを素直にこぼしあえたら、いいよね♡
twitter.comTwo brothers were rescued and treated at different NGOs, and then reunited ☺️💗 pic.twitter.com/9K7xO0GwjK
— Loving nature (@L0vingnature) May 31, 2019
【補足】
「好きになった方が負け」というツイートが流れていて、なにかが気になりました。「愛」を計算高く器用に扱うということに違和感があったのかなと思います。この記事はUPする数日前から書いたり消したりしていて、【恋愛論】みたいな話を投稿するのは抵抗があって躊躇していました。時々自分の意志とは関係なく書くことが決まって、その時は書きながら、自分自身はこんなことが知りたかったのだと気づきます。そして、自分が毎日読ませていただくブログに、同じような本質があった時は、迷いながらもタイミングかなと思い投稿しています。【恋愛論】というタイトルですが、書いた結果、【愛をこぼせる強い人】を描きたかった模様です。なので、書いた結果は、恋愛論でない?気がしています、笑。ごめんね。→タイトルを変えました。
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