芸術は感性で見る
美術館に絵を見に行くとして、絵の見方がわかるかなぁと少し不安になったり、音声ガイドを借りなくちゃ理解できないかも、と思いがちですが、実は絵を見るために知や技はいらないという話を、書いておきたくなりました。
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スノッブな人達は、高名な画家の作品について背景や謂れを積極的に語りたがり、そうなると、謙虚な人達は「絵のことは、疎くてわからなくて...」と遠慮がちに口にし消極的になりがちです。
でも、たとえば、せっかくフェルメールの作品に会えるとして。
芸術と出会う時には、むしろ、頭でっかちで見ない方がいいんです。
絵を見るためにまずは知識は要らなくて、「高名な作家だから、技術が高いから、感動するはず、理解できなくては」と堅苦しくならなくていいのです。
だから、フェルメールにもスキップしながら会いにいこ~♪♪
作家の分身である絵をただ見る。まるごと見る。
純粋な自分の感性が絵に反応したら、勝手に心が揺さぶられます。
ポジティブな感情にしてもネガティブな感情にしても、自分の中で揺らぎが起こるのでわかります。
あ!とか、え!とか、わぁ~!とか、笑。
なぜだか立ち止まっている時間が長い絵、もう一度戻って来てしまう絵、妙に心に引っかかる絵、理解出来なくて気になる絵。
知識の後ろ盾はなくていいんです。
「自分の中で動いたものがある、自分の感性はここに反応するんだなぁ」と気づくだけで百点、花丸。
その感性を言葉で表現出来なくても、そんな風に心を揺さぶられた絵が、今の自分が出会うべき作品だから。
そして、それが大切な「感性で見る」ということです。
心に引っかかる。揺さぶられる。
自分の価値観を揺さぶられてこそ、はじめて芸術の意味があります。観る側にも、作り手にも。
それを感じるだけでいいんです。感じた絵が今の自分の脳と心に、置いておくべき絵なんです。
その引っかかる絵のポストカードを買って帰るでしょう。
机の前に貼って時々眺めるでしょう。
そうしているうちに、自分に揺さぶりをかけたその絵が、じわじわと感性を豊かにしてくれたり、なにかに気づかせてくれたりする。
その後に、知識を足していくと、作家の感性とも響きあって、深くお付き合いしているように理解が進んでいって、自分なりの絵の見方が整っていく感じです。
※Picasso"Guernica"・Da Vinci”自画像”・Niki”Rosy"&”Nana"・Monet"アイリス”
相手は、芸術です。
感性で出会わずして、どう出会えというのか。
っと、たりるんはめちゃ知った風な、になってしまいました~。
てへー。
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きのう、アイコンを変えて「芸術は爆発だ」と書いてしまい、そしたら、岡本太郎さんの情熱を思い出し、絵の話を書きたくなりました。
※「感性というのは、誰にでも、瞬間にわき起こるものだ」岡本太郎
人との付き合い方と似ていますよね。肩書から人を選ぶのではなく。
あ!、と感性で出会って、そのままのその人とお互いに響きあって、そして、知りながら大切に付き合っていく感じ...。